監査法人の交代制は監査の信頼性向上に有効なのか? 【久々にボヤキ系】
『金融庁は8日、会計監査に関する有識者会議を開き、監査法人の信頼性向上のための提言書をまとめた。東芝の会計不祥事を踏まえ、監査法人が守るべき規範を示す「ガバナンス・コード(統治指針)」を年内につくる。企業とのなれ合いを防ぐため監査法人を一定期間ごとに変える交代制の導入も検討する。』
まあ、こういう提言が出るのは仕方がないといえば仕方がない。
『東芝を担当する監査法人が同社の利益水増しを見逃した問題を受け、有識者会議は監査法人にも一般企業と同じような統治指針が必要と判断した。』
東芝の問題に端を発したような記事ではあるが、同様の問題はずーっと以前からあるし、監査法人の交代制もこれまたずーっと前から議論されている。
監査責任者は7年で交代するルールは既に導入されているので、部分的にこのような考えは会計監査の仕組みに織り込み済みである。それでも会計監査を巡る不祥事は後を絶たず、同一監査法人内での監査責任者を交代させるだけでは企業とのなれ合いを防ぐには不十分だ、やはり、監査法人自体のとっかえが必要、ということになる。
このような事態は日本特有ではない。欧州(EU諸国)でも同様に監査法人(アカウンティングファーム)のローテーション制度が議論され導入される予定である(2016年6月~)。会計監査の失敗(会社の財務情報の重要な間違いや不正を見逃して決算書がOKと意見すること)の原因が会社とのなれ合いだと考えるのは万国共通かもしれない。
会社と監査法人のなれ合いはなぜ起こるのか?
監査責任者や監査法人の交代制(ローテーション制)は、同じ監査(法)人が長期間にわたって同一の会社の会計監査を担当すると、会社やその中の役員、従業員と人的関係も形成され、要するに情が移る、ということだろう。情が移ると、厳しい監査が出来なくなる、だから情が移る前に交代するのが望ましいということだ。
だが、会社とのなれ合いを生む原因はこれだけではない。厳しい監査を阻害するという意味では、これも従来指摘されることであるが、監査報酬を監査対象である会社から受け取るという構造的な問題だ。
おカネをもらう相手に厳しいこと言えますか?ということだ。仮に監査法人を定期的に交代するとしてもこの構造は変わらない。むしろ、どうしても契約したい会社をゲットした場合、初年度からいきなり『これもダメ、あれもダメ』と厳しいことを言えるだろう。だけど、初年度こそ厳しさマックスで行かないとダメだし、そんなことで真っ当な会計監査が出来なくなるような人は会計監査やったらダメだよ…
なれ合いは、何も時間の長短だけで発生するものとは思えない。
むしろ、監査法人のローテーションによる弊害のほうが心配だ。
監査法人のローテーションによる弊害
会計監査コストの上昇
会計監査初年度は、監査法人にとっても対応する会社にとっても初期コストが発生する。会社のビジネスの実態やどういうところに監査リスク(裏返すと、決算書に間違いや不正が介入するポイント)があるのかの見極めに時間や作業工数が多く発生する。監査法人の費用は会計監査スタッフの人件費が主たるものなので、当然ながらコストアップ要因となる。そして、それは監査法人ばかりではない。会計監査の工数がアップすることはすなわち対応する会社の従業員の工数アップを招く。双方にとって、コストアップになる。ようやくなじんできたなと思ったらまた交代で一から・・・ということになりかねない。監査法人間で情報の共有を図って引継ぎを円滑にすればよいという意見があるかもしれないが、現在でも監査法人交代の際には双方の事務所で業務引き継ぎの手続きは行っている。で、これだ・・・難しいだろうな。
会計監査の品質の低下
もし、監査法人交代の際に無理に値引きして安値で契約ゲットした場合、だからと言って2年目から急に監査報酬アップというのは容易ではない。むしろ、2年目以降はこなれてきたでしょう?(作業が減ったでしょう)ということで監査報酬の減額を求められるかもしれない。そうなると、あってはならないことだが、監査法人とて営利法人、利益を出すために本来投入すべき人員、監査手続きの効率化(省略)につながる可能性も否めない。本当にあってはならないことだが、いわゆる手抜き工事というやつだ。
手抜き工事でないとしても、やはりなれない会社、業種を担当すると、本来気づかなければならない間違いや不正を見逃してしまうリスクもあるだろう。会社の規模や事業活動が複雑になればなるほど、いわゆる会計監査のツボを押さえるには一定の期間、経験値が必要になってくるだろう。
また、定期的に監査法人が交代するということは、いずれはウチにお鉢が回ってくるということでもある。ということは、ガツガツと企業努力、営業努力をしなくても果報は寝て待て、となる可能性も無きにしも非ず・・・(これも絶対、ダメだけど!)
そして、これが一番重要なのだが、監査責任者と会社の経営者との信頼関係の構築するにはやはり一定の期間が必要であり、この醸成が阻害されることだ。そもそも会計監査は試査という手法をとる。試査とは、取引の全部を虱潰しにチェックするのではなく、間違いや不正が起こりそうなエリアをあらかじめ評価して的を絞りそこを重点的にチェックする(リスクアプローチ)である。そもそも、会社の取引の全部をチェックするわけではないのだ。だから、的を外せば見逃すリスクは当然増えるし、仮に『こんな間違いありました~!』と監査現場で見つけても、取引が終わってからでは会社としても今更(決算)数字は直せません!ということですったもんだする・・・
そもそも、会計監査で問題になるような会計処理の問題は東芝の例然り、会社経営者は認識していることがほとんどだ(というか、知ったうえでやっているのだけれど・・・)。だから、取引が実行される前に、『こういうスキーム、会計処理を考えているのだけれど、どうだろう?会計上問題ないだろうか?』と経営者が事前に監査法人に相談できる、そういう信頼関係があってこその会計監査だと思うのだ。ローテーション制度になると、この関係が構築されないで、会計監査が後手後手になるのが心配なんだな・・・もっとも、現在でも経営者と監査法人の信頼関係が構築されているかというと疑問だけど(年に1回しか合わなかったり・・・)。
とまあ、百害あって一利無し、とまでは言うつもりはないが、ざっと考えても、監査法人の交代制は、なれ合いを防ぐことにも役立ちそうにないし、かえって弊害ばかりが浮かんでしまうのである。
批判ばかりでなく対案を出せ!と言われそうだが、もちろん、だからと言って現状のままで良いとも思わない。やはり、このような不祥事が発生している以上、対策を検討すべきである。
では、どうすべきなのか?
そのためにもまず、あるべき会計監査をちゃんとやる、ということではないかと思うのだ。なんだそれ?と言われるかもしれないが、最近の監査は手続きばかりに目が行って(手も行って)肝心の本来の監査が出来ていないように思えてならない。これには色々な事情(過去からの付けと言ったらいいのか・・・)があるのだが、現場は夥しい量の監査手続きをこなすのに精いっぱいで会社の担当者とまともに話す時間もないといった様。Audit(監査)の語源は、『聴く』こと。もちろん、文字通り担当者の話を聴くだけでなく、データ(資料)から情報を読み取ることもそのうちであるが、それでも、実際に会社の担当者と話をする中で得られる活きた情報は実態を知ることに役立つし、飼料との矛盾に気づかされることも少なくない。会社を見ずにパソコンの画面ばかり見ていると目の前の間違いに気づかないことにもなりかねない。また、監査責任者も事務所内の役回りに忙殺され、まともに現場に行けていない、経営者との信頼関係も構築できていないということあるだろう。監査責任者の交代ルールも、あと数年で交代という意識や逆に特に問題がなければ定期的に担当会社が割り当てられるという甘えにもつながるかもしれない。
なので、これさえすれば問題は解決的な手段はともかく、まずはやることちゃんとやれよ、ということではないのかな~と思うのだ。のび太がやることもやらずにドラえもんに何とかしてよ~と頼むようなものだ。一時的にはともかく抜本的な解決にはならないし、そんな監査法人による会計監査を果たして社会は信頼するのだろうか?
会計監査を巡る問題が生じる度に『会計監査の信頼失墜』などといった報道がなされる。いつも思うのだが、書いている記者もそもそも会計監査を信頼していたのだろうか?
いや、会計監査って具体的に何をしているのかを知っているのだろうか?
何をしているか知らない人のことを果たして信頼するのだろうか?
難しい試験をパスした人たちがそれなりの仕事をしているか大丈夫なんじゃないか、程度ではなかろうか・・・
だとすれば、信頼ではなく幻想に過ぎない。
これは、今から10年ほど前、当時最大規模の監査法人が解散した際に思ったことだ。
あれから10年弱・・・状況が大きく変化していないことをどう捉えればよいのか・・・
と、これ以上ぼやくと収拾がつかなくなりそうなので・・・