アステラスのワクチン開発中止による減損損失の中身を調べてみたら・・・
「アステラス製薬は、17日、ピーナツアレルギー向けワクチンの開発を中止すると発表した。初期の臨床試験(治験)を進めていたが、判断基準となる有効性が認められなかった。米製薬企業から導入した技術で、開発中止に伴い無形資産の減損損失を215億円計上する。2022年3月期の業績予想への影響は精査中という。
開発を中止したのは「ASP0892」。米イミュノミック・セラピューティクス社から15年に導入した技術をもとに、ピーナツアレルギーを対象にした治療や予防を目的としたワクチンを開発していた。スギ花粉や季節性アレルギー向けの開発品を含めて総額3億㌦(約330億円)以上の契約一時金を支払っている。」
(以上、6/17'21日経デジタル)
日本の会計基準では、研究開発費は発生した会計期間で費用(販管費)処理するが、IFRSでは研究開発費活動を、研究ステージと開発ステージに区分し、研究ステージで発生した費用は日本基準同様に発生した会計期間で費用処理するが、開発ステージの費用は無形資産として資産計上しその後償却する。
アステラス製薬を始めとする日本の大手製薬会社はほぼIFRSへ移行している。IFRSの任意適用が始まった際、武田薬品工業などがIFRSへ先行して移行したが、その際、
・研究開発費の一部資産計上
・のれんの非償却
による増益効果を狙いとしていると報じられた。もちろん、それだけが目的では無いだろうが、それだけ利益に対するインパクトがあったということだ。
とはいえ、良いことばかりではない。
発生した費用の一部を将来に繰り延べることで目先の利益は増加するが、その分将来へ費用を先送りすることになる。そして、無形資産ものれんも減損損失の対象となるのはIFRSでも同じだ。
アステラスにとって無形資産の減損は今回に限った話ではない。
同社の有価証券報告書を確認すると、
【無形資産の減損損失】
2021年3月期:13,286百万円
2020年3月期: 99,437百万円
発生している。
前置きが長くなったが、最初この記事を読んだ時、今回アステラスが発表した「開発中止に伴い無形資産の減損損失を215億円」はIFRSにしたがって資産計上した研究開発費の一部の減損かと思った。
では、アステラスは、研究開発費の資産計上についてどんなポリシーを持ち、どれだけの無形資産を持っているのだろうか?
アステラスの有価証券報告書に記載の財務諸表注記をチェックしてみた。
「(5) 研究開発費
当社グループ内で発生した研究開発に関する支出は、すべて研究開発費として発生時に費用計上しています。
IAS第38号「無形資産」の下では、内部発生の開発費は、資産計上基準を満たした場合には無形資産として資産計上されますが、当社グループでは、グループ内で発生した進行中の開発プロジェクトに係る費用については、主要な市場における規制当局からの販売承認を得ていない限り、資産化の基準を満たしていないと判断しており、資産として計上していません。
当社グループは、グループ内部における研究開発活動のほか、複数の第三者と共同研究開発に関する契約を締結しています。これらの共同研究開発に伴い発生した、研究開発業務に係る費用の精算に伴う支出及び収入は、グループ内で発生した研究開発に関する費用と同様に研究開発費として発生時に費用計上しています。」
「(12) 無形資産
無形資産は、のれん以外の物理的実体のない識別可能な非貨幣性資産であり、個別に取得した、又は企業結合の一環として取得した研究及び製造に関する技術、仕掛研究開発及び販売権等により構成されています。
個別に取得した無形資産は、当初認識時に取得原価で測定しており、企業結合により取得した無形資産は、支配獲得日の公正価値で測定しています。また、当初認識後の測定には原価モデルを採用しており、取得原価から償却累計額及び減損損失累計額を控除して計上しています。
個別に取得した、又は企業結合に伴い取得した製品及び研究開発に関する権利のうち、研究開発の段階にあり、未だ規制当局の販売承認が得られていないものは、「仕掛研究開発」として無形資産に計上しています。
取得した仕掛研究開発に関する支出は、当社グループに将来の経済的便益をもたらすことが期待され、かつ、識別可能である場合にのみ資産として計上しており、これには第三者に支払われた契約一時金及び目標達成時のマイルストン支払が含まれています。
仕掛研究開発として計上された無形資産は、未だ使用可能な状態にないため、償却をせず、減損の兆候がある場合にはその都度及び減損の兆候の有無にかかわらず毎年一定の時期に減損テストを実施しています。
仕掛研究開発は規制当局の販売承認が得られ、使用が可能となった時点で「販売権」に振り替えており、その時点から見積耐用年数にわたり定額法で償却しています。
無形資産は、それらが使用可能となった時点から見積耐用年数 (2年~25年) にわたって定額法で償却しています。個別に取得した、又は企業結合に伴い取得した研究及び製造に関する技術、製品及び研究開発に関する権利の償却費は、連結純損益計算書の「無形資産償却費」として表示しています。見積耐用年数は、法的保護期間又は経済的耐用年数のいずれか短い方を採用し、定期的に見直しを行っています。」
ということで、アステラスは、研究開発費は原則的に発生時に費用処理しており、資産計上については消極的な様子がうかがえる。
資産計上されている研究開発費は、自社で発生した研究開発のIFRSにおける資産計上というよりは、M&Aや他社から個別に取得したものであることが分かる。なお、M&Aや他社から個別に取得した場合は、日本基準でも無形資産の対象となる。
では、どの程度の金額が無形資産としてB/S計上されているのだろうか?
【無形資産の資産計上額】
(単位:百万円)
2020年3月期 2021年3月期
研究及び製造に関する技術 118,748 129,254
仕掛研究開発 485,941 408,872
無形資産の約83%、総資産の約24%を占める。
結構なボリュームだ。
こうした無形資産は償却で漸次費用化されてはいるが、将来の減損の火種であることは間違いない。
アステラスよりも積極的に無形資産計上する会社はなおさらだろう。
【気になる第1四半期の減損】
ところで、今回アステラスが発表した無形資産の減損215億円は、2022年3月期の損失となる。6/17日発表なので、2022年3月期の第1四半期決算に反映される。
第1四半期の減損は微妙だ・・・
通常、固定資産の減損は、製品の販売が不振による工場の稼働率低下が原因だ。つまり、突然に減損が発生するのではなく、状況がだんだんと悪化する中で会社(経営者)が減損の「判断」に至るわけだ。もちろん、判断のタイミングについても減損会計のルールに一定の要件設定はされているが、会社や監査法人の判断には多少の時期ズレは生じ得る。
3月の決算期末日以降に発生した事象(損失)であっても、一定の要件を満たす場合には修正後発事象として3月決算へ反映する必要がある。実務上は、会社法の決算が固まる概ね5月下旬までに発生した後発事象は3月決算の業績へ反映される。つまり、減損の判断は5月だが、減損の状況は3月末の時点すでに発生していた、という扱いだ。そして、会社法決算の確定以降の場合は開示後発事象として財務諸表に注記することになる(実際の減損計上は次期となる)。
アステラスでは、以下のとおり、当該減損損失を開示後発事象として取り扱っていた。
「5.後発事象
無形資産の減損損失
当社グループは2021年6月、仕掛中の研究開発であるASP0892の開発中止を意思決定しました。これに伴い、翌連結会計年度に無形資産の減損損失21,463百万円をその他の費用として計上する予定です。」
ということは、
①全く減損の心配の無い研究開発が、5月下旬以降に突然中止⇒要減損となった
②以前から減損の兆候があった研究開発の減損判断が5月下旬以降となった
のいずれかとなる。
筆者のような意地の悪い会計士から見ると、①はともかく②は実際の開発中止はもっと前に決まっていたのではないか?減損の先送りではないのか?という疑問も生じる。
まあ、EYの監査報告書でも「仕掛研究開発の減損テスト」は当期からKAM(key Audit Matters)として記載されているように、ことさら入念な監査が行われているはずだから問題ないと思う。
知らんけど。