溝口公認会計士事務所ブログ

京都市在住、大阪を中心に活動している公認会計士です。日頃の業務の中で気になったことを書いています。

北海道電力の電力再値上げ申請の陰に『繰延税金資産』


電力再値上げの陰に「繰り延べ税金資産」の爆弾 編集委員 滝田洋一 :日本経済新聞

少し前の報道ですが・・・

電力会社、特に原子力発電への依存度が高い北海道電力関西電力九州電力債務超過への転落が懸念され、その対応として電気料金の値上げの可能性が報じられた。

 

記事の表にも示されているが、電力各社は震災後の11年度から13年度にかけては、中国電力を除いて3期連続の経常赤字である。しかし、純資産はそれなりにあり、スグに債務超過って・・・というところに繰延税金資産の『取り崩し』という問題が浮上するのである。

13年度末

北海道電力:純資産929億円 内、繰延税金資産355億円(38.2%)

関西電力:純資産8,066億円 内、繰延税金資産4,999億円(62.0%)

九州電力:純資産3,414億円 内、繰延税金資産1,705億円(50.0%)

純資産(正味の財産)の約半分程度が繰延税金資産で構成されていることになる。

関西電力では、もし繰延税金資産が取り崩し(消滅)となると、実質的な純資産

は3,067億円となり、現在の赤字ペース(13年度1,229億円)だと3年で債務超過となる

可能性がある。

 

ここで、繰延税金資産、そしてその取り崩しについて簡単に例を用いて説明する。

ざっくりイメージをつかむために、飲食店のサービス券を例にとる。

1,000円持っている人が、飲食店で700円の食事をして会計の際に700円の代金は支払う

ものの次回来店時に使える500円のサービス券をもらったとする。

この時、手元には300円の現金と500円分のサービス券が残るのだが、現在の会計ルールでは手元に残った財産は800円(現金300円+サービス券500円)とカウントする。

使ったおカネから見ると700円を支払ったものの、その内500円は次回タダで使える権利をゲットしたのだから、今回使ったおカネは実質的に200円(700円-500円)と考えると帳尻が合う。

お気づきのように、800円が純資産、500円が繰延税金資産である。

さて、このサービス券、実は使用期限があるとする。使用期限は2か月後、2か月を経過すると紙くずとなって500円分の飲食の価値は無くなる。

500円のサービス券は、500円の価値はあるものの用途が限定されている。2か月間、仕事に追われて、あるいは忘れていて使用期限を経過すると、800円と考えていた財産は

300円(800円-500円)となってしまうのである。

まさに、繰延税金資産の取り崩し(消滅)がこんなイメージだと思う。

 

繰延税金資産は、ある一定の条件下においては確かに資産であるが、条件を満たさなくなると資産としての価値が消滅すると同時にその存在も消滅する。

電力会社においては、赤字の実績が続いて将来の収益獲得(黒字)が見込まれなくなる状況が、いわば条件を満たさなくなる状況だ。

電力会社各社は、現在そのような状況におかれているということである。

 

ここで、一点言及したいのは、とかく繰延税金資産の取り崩し(それによる純資産の減少)は”ある日突然”、監査法人から会社に『宣告』される、という印象(報道?)を持つ方もいるかもしれないが、実際は、先のサービス券の2か月の使用期限と同様、つまり、そのような状況の開始(前兆)から『宣告』までに一定の期間(個人的な感覚として少なくとも2,3年)の猶予があるのである。

 

今回の北海道電力の再値上げの申請についても、繰延税金資産の取り崩しによって債務超過の可能性が高まったことが大きな原因とすれば、

数年前からこのままの状況が続けば近い将来(2,3年後)に繰延税金資産の取り崩しが会計ルール上必要になりますよ、と監査法人から示唆されていたと思う。それに対して、その期間、会社はそのような事態を未然に防ぐための何をしてきたのだろうか?と思ってしまうのである。むしろ、そのプロセス、努力を聞きたい。繰延税金資産の取り崩しと言う問題を、降って涌いたような事故や災害と同様の受け止め方をして欲しくはない。少なからずマネジメントの問題という意識を経営者には持っていただきたいと考えるのである。

 

とはいえ、今回は災害が原因となってそれまでの収益の柱を突如失うという事態が招いたことは否めない。今回の電気料金の値上げ申請が、コストダウン、合理化を進めた上の結果とすれば、原子力発電を停止することによって得られる安全に対する代償という見方もできる。安全とコストを単純に比較することは難しいが、エネルギー政策のいずれにもメリット・デメリットがあるということを繰延税金資産というテーマからも窺い知れるのである。