僕は、ワルシャワにいた。
10日程度のヨーロッパ出張を終え、帰国日の予定だった。
昨晩は、最終日の仕事を終えた安ど感もあり、現地駐在員とささやかな打ち上げで盛り上がった。
(実際は、盛り上がりたい駐在員に付き合わされたのだけど)
翌朝、少し飲み過ぎたせいか、ボーっとしたまま寝ぼけ眼でTVの電源を入れた。
不思議なもので、どんなに寝ぼけていても、思考力が低下していても、それがアジアだということは直感的に分かる。
海外にいるとなおさら、日本のニュースには敏感になる。
タイの水上マーケットのニュースか?
木造らしき建物と水
いや、雰囲気からはそんな活気や賑やかさは伝わってこない。
車?
流されている?
CG?
ドラマ?ニュースじゃないの、これCNNやんな?
偶然にも、往路の機内で観たマット・デイモン主演の『ヒアアフター(hereafter)』の残像が脳裏にあるのか、現実とフィクションの境目が分からなくなっていた。
だんだんと思考が戻ってくる。
あ、漢字!
漢字の看板が波に流されていく。
津波・・・日本か!?
完全に頭が冴え、画面を凝視した。
tsunami caused by a massive earthquake
east of tokyo
イーストオブトーキョー?東京の東ってどこだ?東は海だ。
混乱していると、一緒に滞在していた同僚から内線があった。
同僚から聞かされ、その時点、現地でわかる範囲で事態を把握した。
大地震、それも宮城沖って・・・
東日本大震災の発生は、2011年3月11日午後14時46分とされる。
ワルシャワと日本の時差は8時間なので、現地では同日の午前6時46分に当たる。
起き抜けの寝ぼけた頭に衝撃的なニュースが飛び込んできたのは、まさに地震発生直後だった。
東日本大震災のような巨大な災害はもちろんだが、日本のニュースは海外でもリアルタイムで報じられることが多い。
それにしても東北って・・・
東北に地震のリスクなんて聞いたことないぞ。
当時は南海トラフや東海トラフなどは巨大地震のリスクの高いエリアと報じられていたように記憶している。
身支度を整え、ホテルのロビーで同僚と今後の行動について話し合う。
その時さすがの同僚は、既に大阪の事務所へ連絡して日本の現況を一通り入手してくれていた。
かなり揺れたみたい、それも船酔いするかっていうぐらい大きくグアングアン揺れたって言っていたけど、被害は特には無いみたい、と同僚。
大阪でそれだけ揺れるってどんな規模の地震なのかと、改めて空恐ろしさを感じた。
どうしようかと相談した結果、ここ(ワルシャワ)よりもパリの方が情報も移動にも都合が良いだろうということで、とりあえず予定通りの便でパリへ移動することにした。
パリ到着。一応、成田便のゲートまで行ってみる。
遅延(flight delayed)の表示。
成田空港が閉鎖してるとのこと。
成田が閉鎖か・・・
大阪でそれだけの揺れだから、東京も被害が大きかったのか?
これは只事ではない、只事ではないのは分かっているが、とはいえ、実際に体験していないため、感覚的にはピンとこない部分があったのは否めない。
ワルシャワからパリへ移動して、だんだんと日本の情報を得るにつれ、尋常でないことが発生している、進行形であるという認識が出来上がりつつあった。
阪神淡路大震災は体験している。京都に住んでいたが、朝方かなり揺れたのを覚えている。悲しいことに、同級生も亡くなった。
当時、神戸にクライアントがあったので、新人だった僕は、震災直後に阪神電車の一部運行区間と臨時バスを乗り継いで三宮まで通った。地震の被害に遭われた人々がほとんどの中、1人だけのスーツ姿はかなり場違いな自覚があった。車窓から見えるブルーシートや倒壊した建物、建物に押しつぶされた車・・・地震の怖さ、凄まじい破壊力を見せつけられながらの通勤は今でも鮮明に覚えている。
あれクラスの地震なのか?
いや、CNNで最初に目にしたのは地震よりも津波だ。家が、車が流されたいた、映画のように。今回のは地震だけじゃなく、津波もだ。ということは、あれ以上の被害が出るのか?
そんなことをぼーっと考えていると、出発するという。
そんなに早く復旧したのかと思ったが、そうではなく、成田が閉鎖していれば日本のどこかの空港に着陸するということらしい。
機内では一層情報が遮断される。ニュースも新聞もリアルタイムという訳にはいかない。
それまで、東北地方にさほど馴染みは無かった。宮城と山形に数回出張で行ったぐらいだったが、実は震災の前月2月に秋田に1週間ほど滞在していた。そんな事情で、東北に親しみが湧いてきたところだった矢先の出来事だ。お世話になった秋田の皆さんは大丈夫なのだろうか、仕事にも集中できないし、映画も何か往路のことを思い出して、あまり観る気になれない。
そうこうしている間もフライトは順調に進行し、ほぼ定刻に無事、成田に到着した。
飛行中に、復旧を終え開港したのだという。
入国手続きを終え、とりあえず、国内便の乗り継ぎへ移動する。
コンコースの大きな白い壁、そして分厚い窓にヒビが入っていた。
ちょ、マジで!?
これにヒビかよ・・・
ここでも地震の凄まじさを思い知らされた。
日本に帰ってくると、今回の地震の深刻さが伝わりますね。
同僚と話しながら、通路に座り込んだり、横たわっている人々に目が行く。
一様に、顔から体中から不安と疲労がにじみ出ていた。
成田エクスプレスなど東京近郊への電車が地震の影響で運休となり、成田から東京方面へ移動できずに一夜をコンコースで明かした人たちだ。
伊丹行のゲートへ到着すると、1時間程度の遅れで出発するとのこと。
そして、結局、たったの1時間程度の遅れで、ワルシャワから伊丹空港まで帰ってくることができた・・・
あれは、あの地震は、津波は、幻だったのか、というぐらいあっけないほど順調に・・・
もちろん、その時点では、福島第一原子力発電所の事故も、地震や津波による本当の被害も、復興の厳しく長い道のりも、そして被害に遭われた方々の本当の辛さや悲しみも知りえない。
それでも、世の中の不公平や不条理を感じざるを得なかった。
今まさに想像を絶するような災害に遭遇している多くの人々がいる中で、同じ時間と空間を共有しながら、いつもどおりの日常を享受する自分がいる・・・
被害や悲しみを分かち合いたいというのとは違うのかもしれないが、何ともやり切れない居心地の悪さを感じた。
そして、
自分のやりたいことをやりたいようにやろう、と強く思った。
人間、いつどこでどうなるか、誰にも分らない。今回は、たまたま自分じゃなかっただけだ。それは、地震などの自然災害に限ったことじゃない。事故だって、病気だって同じだ。明日、何かあっても悔いの無いように今を生きよう。
人間1人ができることは高々知れている。苦手なことはさらにパフォーマンスが落ちる。自分がやりたいことをやりたいようにやっている時、自分にとってのパフォーマンスは一番良いはず。そしてそれが、直接的には難しいかもしれないが、間接的にでも震災からの復興に関わる人たちの役に立つことがあるかも知れない。
1年後、僕は事務所を辞め、独立した。
そんなことを思った、10年前の今日、この日だった。